「好き」と「嫌い」のあいだで

最近、この夏に北海道北竜町での企画でご一緒したメンバーが久々にほぼ全員集合して。年齢も住んでいる場所もバラバラだけれど、終始笑いっぱなしの時間はあっという間。みんなと別れた途端に、「はやくまた集まりたいなぁ」と思うほど、帰り道は素敵な仲間に出会えたうれしさを噛みしめていました。


写真は、北海道スタイルで〆に食べ夜パフェ。いい歳した大人5人がパフェでキャッキャしてるの、なかなかユニークだけれど楽しかった◎



こんなふうに、わたしは「これまでの人生で、きっと今がいちばん楽しいな」と、じんわりと熱いものがふいに込み上げてくる瞬間があって。この感覚はさまざまな場面で込み上げてくるけれど、誰かと過ごした時間が心から楽しめたときにそう感じることが多いような気がする。

とくに10代(高校くらい)までは、教室という名のひとつの大きな箱の中で、たまたま同じ箱に入ったクラスメイトたちといかに満遍なく人間関係を築いていけるかが死活問題。だから、ある程度は空気を読んだり、人にペースや考えを合わせたりすることが処世術として必要な部分がある。

ただわたしは、中学でいじめに遭って以降、人付き合いに苦手意識を強くもっていた時期があった。そのせいなのかな、10代のころを振り返ってみると、対人関係での悩みが常に頭の片隅にあった気がする。



けれど大人になって、たくさんの街や人と出会うなかで、自分が生きる世界は自由に選択することができることを身をもって学んだ。そして同時に、心が病んでしまうまで苦手な人と付き合ったり、自分に合わない環境にいつづけたりする必要はないことも知った。

とはいえ、いくつになっても自分とは違う価値観をもった人と出くわすこともあるし、互いの違いがあまりに大きいことにびっくりすることは誰にでもあると思う。


そんなときは、「ここまでなら付き合えるかな」というバウンダリー(境界線)を心の中で設けてみる。そして、遠くの景色をぼんやりと眺めるような気持ちで相手と接する。


苦手意識が強い相手ほど極端な行動をしてしまいそうになるかもしれないけれど、「好き」と「ひょっとしたら嫌いかも……」のあいだをキープしてみる。



これを意識するようになってから、相手と心が通じ合えたことが素直にうれしく感じるようになったし、(実は互いのバックグラウンドが違っていただけということがわかって)あとから関係が深くなったこともある。


ほかにも、先入観が邪魔をしていただけで「こんなに素敵なところがあったんだ」と、思いがけない魅力にハッとさせられることもある。



人付き合いでの悩みはできる限り少ないほうがいいけれど、せっかく縁あって出会えた人たちなのだから。


何でもかんでも白黒をはっきりさせようとせず、人付き合いにもグレーゾーンを設けてみるのも、ひょっとしたらアリなのかもしれない。そうするだけで、いつしか自分の周りには「好きな人」しかいなくなっているはず。

Live with LOVE, Connie

#コニタビ

旅するように暮らして、暮らすように旅するライター/編集者の備忘録。